ちょっと古い映画だけど、感動する映画で知られている「ペイ・フォワード 可能の王国」。
主人公は、アルコール依存症の母と家庭内暴力を振るう父を持つ少年・トレバー(学校でもいじめられている)。
そんなある日、トレバーは社会の授業で「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をするか?」と課題を出されます。
悩んだ末、トレバーが出した答えは『自分が受けた優しさを、その相手ではない別の3人に渡す(ペイ・フォワード)』というもの。
トレバーはさっそく実践してみますが、現実は厳しくて…
という始まりです。
自分のことで精一杯なこの世の中に、希望が差し込むような映画でした。
本当に素晴らしい作品で「人」が変われば「世界」は変えられるかもしれない…と期待したくなる、真似したくなると素直に思える作品。
それほど、人の心を揺さぶる素晴らしい映画なのに、何故あの結末なのか。
周りはトレバーの行いを「素晴らしい」と褒めたたえるかもしれないけど、いじめられてるところを助けてもらった子の気持ちは?トレバーの母と先生の悲しみは?
トレバーも生きててのハッピーエンドじゃなくちゃ「ペイ・フォワード」が、優しさによるものではなく「自己犠牲によるもの」になってしまう気がしました。