自分で選んだ子供のいない人生。それでも、可哀想だと思われるのが嫌だった。

私たち夫婦には子供がいません。


そして今後もいません。


そういう人生を自分たちで選びました。


今回はそういう話です。

謝れたり、励まされたり…“特別”なことなのだと感じて…

「お子さんいくつ?」


と、子供がいること前提で聞かれることが結構ありますが、私には子供はいません。そして、今後もいません。


「私、子供いないんですよ」


と答えると


何故か


「あら。ごめんなさいね」


とか


「いつか出来るかもしれないから諦めないでね」


と謝られたり、励まされることがあります。


私を気遣ってくれての言葉なんだけど


どうして、この人たちの中で「子供ができない」という話になっているのだろう?


面倒なので、あえて否定もしませんが「子供がいないこと」が特別(悪い意味で)なのだと感じる瞬間です。


そして、可哀想って思われたのかな?と思う瞬間でもあります。

可哀想だと思われるのが嫌だった

以前は、幸せなのに可哀想だと思われるのが嫌だ!って思ってたけど、


今はまったく思わなくなりました。


「なんで?何かきっかけがあったの?」


と聞かれると説明が難しいのですが、きっかけはありません。


あるとすれば、たくさん考えたこと。


たくさん考えて、ようやく自分の中で「自分の人生」に納得ができたのだと思います。


子供を作らないことは自分たちで選んだこと…それなのに、だいぶ後になってから「納得した」だなんて変な話ですが


どこかで「普通から外れていはいけない」という日本人的な発想が私にもあったんだと思います(刷り込みって恐い)。


その呪縛から逃れられなくて「可哀想と思われる」ことに敏感だったのかもしれません。


でも、結局…誰が何と言おうと私は幸せだし、毎日めっちゃ楽しい!


そう思ったら、別に可哀想だと思われても思われなくても構わなくなったし、どうでもよくなりました笑


私の人生は私が主人公。


周りの人たちは脇役なのです。

まとめ

最近は、何を言われても気にならなくなったので


「可哀想」


という顔をされても、励まされたりしても気にしていません。


自分の気持ちをしっかり持つというのは大事なことですね。


でも、しつこく子供について言ってくる人に対しては


「うるさいな。セリフ減らすぞ、この脇役が!!」


と心の中で思っています笑